恐怖の8番打者
- 2013/12/14
- 18:47
面白いテーマだと思ったので、少し調べてみました。
主な出場打順が8番だったセリーグの打者で、RCWINが0.50を超えた選手は1980年以降のべ16人いました。
古田敦也 [1991東京/捕] .340 11 50 +2.85
阿部慎之助 [2002巨人/捕] .298 18 73 +2.07
中尾孝義 [1984中日/捕] .322 12 35 +1.35
ハドラー [1993東京/二] .300 14 64 +1.33
矢野輝弘 [2002阪神/捕] .321 *6 27 +1.26
山倉和博 [1987巨人/捕] .273 22 66 +1.12
谷繁元信 [2001横浜/捕] .262 20 70 +1.03
中尾孝義 [1987中日/捕] .291 16 40 +0.96
村田真一 [1990巨人/捕] .273 13 44 +0.86
有田修三 [1988巨人/捕] .292 12 40 +0.84
谷繁元信 [1996横浜/捕] .300 *8 54 +0.80
大久保博元 [1992巨人/捕] .277 15 43 +0.78
関川浩一 [1997阪神/捕] .306 *5 26 +0.68
中村武志 [1991中日/捕] .270 20 62 +0.64
関本健太郎 [2008阪神/三] .298 *8 52 +0.58
谷繁元信 [2011中日/捕] .256 *6 31 +0.53
やはりというか捕手ばかり。
捕手は多少打撃が良くても、8番に据えられる傾向が強いことを裏付ける結果になったと思います。
1991年の古田敦也はこの年首位打者を獲得。
最多出場打順が8番の打者が首位打者を獲った例は、少なくとも1980年以降では他に見つからず。
実は7番での出場も8番と同数で最多なんですが、7番先発出場は角富士夫の方が多かったので古田は8番として扱っています。
NPB史上最も多く8番で先発出場した選手である谷繁元信*は8番でのRCWIN0.50以上を3回記録。これは1980年以降では最多。
8番打者としての息の長さを考えても、「恐怖の8番打者」の称号に最も相応しいのではないかと思います。
*日本プロ野球私的統計研究会様の打順別先発出場試合数ランキングTOP50(1936-2013)より
主な出場打順が8番だったセリーグの打者で、RCWINが0.50を超えた選手は1980年以降のべ16人いました。
古田敦也 [1991東京/捕] .340 11 50 +2.85
阿部慎之助 [2002巨人/捕] .298 18 73 +2.07
中尾孝義 [1984中日/捕] .322 12 35 +1.35
ハドラー [1993東京/二] .300 14 64 +1.33
矢野輝弘 [2002阪神/捕] .321 *6 27 +1.26
山倉和博 [1987巨人/捕] .273 22 66 +1.12
谷繁元信 [2001横浜/捕] .262 20 70 +1.03
中尾孝義 [1987中日/捕] .291 16 40 +0.96
村田真一 [1990巨人/捕] .273 13 44 +0.86
有田修三 [1988巨人/捕] .292 12 40 +0.84
谷繁元信 [1996横浜/捕] .300 *8 54 +0.80
大久保博元 [1992巨人/捕] .277 15 43 +0.78
関川浩一 [1997阪神/捕] .306 *5 26 +0.68
中村武志 [1991中日/捕] .270 20 62 +0.64
関本健太郎 [2008阪神/三] .298 *8 52 +0.58
谷繁元信 [2011中日/捕] .256 *6 31 +0.53
やはりというか捕手ばかり。
捕手は多少打撃が良くても、8番に据えられる傾向が強いことを裏付ける結果になったと思います。
1991年の古田敦也はこの年首位打者を獲得。
最多出場打順が8番の打者が首位打者を獲った例は、少なくとも1980年以降では他に見つからず。
実は7番での出場も8番と同数で最多なんですが、7番先発出場は角富士夫の方が多かったので古田は8番として扱っています。
NPB史上最も多く8番で先発出場した選手である谷繁元信*は8番でのRCWIN0.50以上を3回記録。これは1980年以降では最多。
8番打者としての息の長さを考えても、「恐怖の8番打者」の称号に最も相応しいのではないかと思います。
*日本プロ野球私的統計研究会様の打順別先発出場試合数ランキングTOP50(1936-2013)より