球団史上最高の4人を選ぶ 横浜DeNAベイスターズ編
- 2015/08/02
- 08:27
はじめに
前回のヤクルトと同様のアプローチで、NPBで「フランチャイズ・フォー」と同様の企画が実施された場合、
RCAAまとめblogとしてはどういった選手に投票するか、データを基に独断と偏見を交えて考えてみました。
今回は第3弾として、「横浜DeNAベイスターズ」の歴代選手TOP4を選出します。
おおまかな選出の方針
・「同ポジションの平均的な控え選手に対し、どの程度利得を作れたか」(=WAR)を基軸に評価。
・基本的には通算成績の優劣で決定。長くチームに貢献した選手を優先する。
・通算成績がほとんど横並びの場合、全盛期の優劣で決定。
・「球団史上」なので、MLB期間の成績については一切考慮しない。
以上を踏まえて、RCAAまとめblogが選出した「横浜DeNAベイスターズ史上最高の4人」は以下のようになりました。
横浜DeNAベイスターズ史上最高の4人
□三浦大輔[1992-]

※2015年7月26日時点
通算170勝は球団史上歴代3位。球史全体を見渡しても指折りの暗黒時代だった横浜のエースとして長く活躍しました。
三浦については当ブログでも何回か取り上げてきました。「平成の大投手 三浦大輔」
日本プロ野球の歴史の中で最も投手不利な球場環境下で投げ続けた投手であり、最も打線の援護が得られなかった投手でもあります。
マシンガン打線は明確に高い攻撃力を示したのが1998年と1999年のみとピークがとても短く、恩恵は十分に得られなかったようです。
平均的な投手に対して+215点の投球利得を稼ぎました。これは球団史上歴代1位の記録。
球団の歴史の上で投手に比べると野手に目ぼしい選手が少ないことも鑑みると、球団史上最高選手ではないでしょうか。
□平松政次[1967-1984]

川崎球場時代末期から、横浜スタジアム時代初期にかけてエースとして活躍。
通算201勝は球団史上歴代最多。2015年現在、唯一の200勝投手となっています。
平均的な投手に対して+159点の投球利得を稼ぎました。これは三浦大輔に次ぐ球団史上歴代2位の記録。
三浦との勝ち星の差は、主に野手の打撃力の差に起因しているようです。
ただしあくまでも「三浦と比べて」の話であり、同時代の平均的な投手と比較すると打線の援護は弱かったと言わざるを得ません。
守備面での援護も不十分と言える中で達成した200勝は、非常に価値のあるものと言えるでしょうね。
なぜか未だに殿堂入りしていませんが、理由がよく分かりません。
□秋山登[1956-1967]

1960年の球団初優勝時のエース。通算193勝は球団史上歴代2位。
平均的な投手に対して+133点の投球利得を稼ぎました。これはWin換算すると球団史上歴代3位の記録。
1958年以前の球場補正が揃った場合、平松より上の数値となるかもしれません。
実働12年での通算3000投球回、4年連続最多敗とイニングイーターとしても抜群の素質を持っていたようですが、
先発リリーフ併用の三原監督の起用法が投手寿命を縮めたのか、惜しくも33歳の若さで引退しています。
□石井琢朗[1989-2008]

※守備位置補正はの方法で算出しました。「守RCAA」は球場補正を含めた守備位置補正RCWINです。
1990年代から2000年代にかけて、不動のリードオフマンとして活躍しました。
一番打者としてはかなり優秀な奪四球力を誇り、全盛期はマシンガン打線の核弾頭として申し分のない出塁率を記録。
同ポジションの平均的な選手(三塁→遊撃)に対して+33点の打撃利得を稼ぎました。
キャリアを俯瞰すると(投手→)三塁手→遊撃手となかなか珍しいコンバート経路を辿りましたが、
与えられたいずれのポジションでも高い奪アウト率を記録しており、守備面の貢献も非常に大きいものであったことが窺えます。
攻守両面の貢献と故障の強さから来る欠場の少なさも併せて、3拍子揃った球団史上最高の野手と言えるでしょう。
□遠藤一彦[1978-1992]
球団66年の歴史で二人しかいない沢村賞投手の一人。
通算134勝は球団史上歴代4位。平均的な投手に対して+153点の投球利得を稼ぎました。
奪三振王3回が示す高い奪三振力に加え、与四球を平均の70%程度に抑える制球力も持ち合わせており、
イニングあたりの貢献量は上述の平松政次、秋山登を上回る数値となっています。
1987年のアキレス腱断裂が無ければ、キャリア全体で200勝に近い勝ち星をあげていたと思われます。
□斉藤明夫[1977-1993]
球団史上唯一の100勝100セーブ達成者。(移籍した選手も含めると斎藤隆が日米通算ながら達成)
平均的な投手に対して、秋山登とほぼ同等の+139点の投球利得を稼ぎました。
キャリアを通じてバッターズパークを本拠地としてプレーしたにもかかわらず、被本塁打率が低いのが面白い点。
決め球はスローカーブだったようですが、極端なゴロピッチャーだったのでしょうか?
□ロバート・ローズ[1993-2000]
押しも押されもせぬマシンガン打線の四番打者。1999年には歴代2位のシーズン153打点を記録するなど
二塁手としては日本プロ野球史上最高峰とも評される高い打力を誇り、
平均的な二塁手に対して+233点の打撃利得を稼ぎました。これは球団史上最高値となっています。
打撃による貢献は最大値だと思われますが、守備による貢献が物足りないため今回は石井琢朗を選出しました。
□高木豊[1981-1993]
ローズの前任者であり、「スーパーカートリオ」の一角として活躍。
盗塁成功率は低く、企図数の割には盗塁による利得はあまり生み出せなかったようですが、
多い二三塁打と高い出塁率を武器に、同ポジションの平均的な選手(二塁手・遊撃手)に対して+133点の打撃利得を稼ぎました。
レンジ系指標を見る限りでは、二塁守備もなかなかのものであったようです。
1980年代のセリーグは高木豊に加えて岡田彰布、篠塚利夫、正田耕三と華のある二塁手が揃っていましたね。
□横浜DeNAベイスターズ簡易oWAR10傑[-2014]
※守備位置補正は守備位置補正RCWINの方法で算出しました。「守RCAA」は球場補正を含めた守備位置補正RCWINです。代替補正は600打席で2勝としました。
□横浜DeNAベイスターズ簡易投手WAR10傑[-2014]
※代替補正は控え投手勝率を.380と仮定して算出しました。
巨 神 広 中 [De] ヤ ソ オ 日 ロ 西 楽 近 球団史上最高の4人を選ぶ
横浜DeNAベイスターズ選手一覧 ベイスターズ歴代選手の変遷
横浜DeNAベイスターズ打線一覧 ベイスターズ歴代打線の変遷
通算170勝は球団史上歴代3位。球史全体を見渡しても指折りの暗黒時代だった横浜のエースとして長く活躍しました。
三浦については当ブログでも何回か取り上げてきました。「平成の大投手 三浦大輔」
日本プロ野球の歴史の中で最も投手不利な球場環境下で投げ続けた投手であり、最も打線の援護が得られなかった投手でもあります。
マシンガン打線は明確に高い攻撃力を示したのが1998年と1999年のみとピークがとても短く、恩恵は十分に得られなかったようです。
平均的な投手に対して+215点の投球利得を稼ぎました。これは球団史上歴代1位の記録。
球団の歴史の上で投手に比べると野手に目ぼしい選手が少ないことも鑑みると、球団史上最高選手ではないでしょうか。
□平松政次[1967-1984]

川崎球場時代末期から、横浜スタジアム時代初期にかけてエースとして活躍。
通算201勝は球団史上歴代最多。2015年現在、唯一の200勝投手となっています。
平均的な投手に対して+159点の投球利得を稼ぎました。これは三浦大輔に次ぐ球団史上歴代2位の記録。
三浦との勝ち星の差は、主に野手の打撃力の差に起因しているようです。
ただしあくまでも「三浦と比べて」の話であり、同時代の平均的な投手と比較すると打線の援護は弱かったと言わざるを得ません。
守備面での援護も不十分と言える中で達成した200勝は、非常に価値のあるものと言えるでしょうね。
なぜか未だに殿堂入りしていませんが、理由がよく分かりません。
□秋山登[1956-1967]

1960年の球団初優勝時のエース。通算193勝は球団史上歴代2位。
平均的な投手に対して+133点の投球利得を稼ぎました。これはWin換算すると球団史上歴代3位の記録。
1958年以前の球場補正が揃った場合、平松より上の数値となるかもしれません。
実働12年での通算3000投球回、4年連続最多敗とイニングイーターとしても抜群の素質を持っていたようですが、
先発リリーフ併用の三原監督の起用法が投手寿命を縮めたのか、惜しくも33歳の若さで引退しています。
□石井琢朗[1989-2008]

※守備位置補正はの方法で算出しました。「守RCAA」は球場補正を含めた守備位置補正RCWINです。
1990年代から2000年代にかけて、不動のリードオフマンとして活躍しました。
一番打者としてはかなり優秀な奪四球力を誇り、全盛期はマシンガン打線の核弾頭として申し分のない出塁率を記録。
同ポジションの平均的な選手(三塁→遊撃)に対して+33点の打撃利得を稼ぎました。
キャリアを俯瞰すると(投手→)三塁手→遊撃手となかなか珍しいコンバート経路を辿りましたが、
与えられたいずれのポジションでも高い奪アウト率を記録しており、守備面の貢献も非常に大きいものであったことが窺えます。
攻守両面の貢献と故障の強さから来る欠場の少なさも併せて、3拍子揃った球団史上最高の野手と言えるでしょう。
次点
□遠藤一彦[1978-1992]
球団66年の歴史で二人しかいない沢村賞投手の一人。
通算134勝は球団史上歴代4位。平均的な投手に対して+153点の投球利得を稼ぎました。
奪三振王3回が示す高い奪三振力に加え、与四球を平均の70%程度に抑える制球力も持ち合わせており、
イニングあたりの貢献量は上述の平松政次、秋山登を上回る数値となっています。
1987年のアキレス腱断裂が無ければ、キャリア全体で200勝に近い勝ち星をあげていたと思われます。
□斉藤明夫[1977-1993]
球団史上唯一の100勝100セーブ達成者。(移籍した選手も含めると斎藤隆が日米通算ながら達成)
平均的な投手に対して、秋山登とほぼ同等の+139点の投球利得を稼ぎました。
キャリアを通じてバッターズパークを本拠地としてプレーしたにもかかわらず、被本塁打率が低いのが面白い点。
決め球はスローカーブだったようですが、極端なゴロピッチャーだったのでしょうか?
□ロバート・ローズ[1993-2000]
押しも押されもせぬマシンガン打線の四番打者。1999年には歴代2位のシーズン153打点を記録するなど
二塁手としては日本プロ野球史上最高峰とも評される高い打力を誇り、
平均的な二塁手に対して+233点の打撃利得を稼ぎました。これは球団史上最高値となっています。
打撃による貢献は最大値だと思われますが、守備による貢献が物足りないため今回は石井琢朗を選出しました。
□高木豊[1981-1993]
ローズの前任者であり、「スーパーカートリオ」の一角として活躍。
盗塁成功率は低く、企図数の割には盗塁による利得はあまり生み出せなかったようですが、
多い二三塁打と高い出塁率を武器に、同ポジションの平均的な選手(二塁手・遊撃手)に対して+133点の打撃利得を稼ぎました。
レンジ系指標を見る限りでは、二塁守備もなかなかのものであったようです。
1980年代のセリーグは高木豊に加えて岡田彰布、篠塚利夫、正田耕三と華のある二塁手が揃っていましたね。
□横浜DeNAベイスターズ簡易oWAR10傑[-2014]
順位 | 選手名 | 守備 | 実働期間 | 年数 | 試合 | 打席 | 打率 | HR | 打点 | 盗塁 | RCW | 球場補正 | POS補正 | 守RCW | oWAR | |
1位 | R.ローズ | 二塁 | 1993-2000 | 8年 | 1039 | 4525 | 0.325 | 167 | 808 | 16 | 23.92 | -2.59 | 2.71 | 24.04 | 39.1 | 次 |
2位 | 桑田武 | 三塁 | 1959-1968 | 10年 | 1178 | 4660 | 0.265 | 223 | 674 | 89 | 21.21 | 0.13 | -0.18 | 21.16 | 36.7 | |
3位 | 高木豊 | 二塁 | 1981-1993 | 13年 | 1563 | 6486 | 0.298 | 88 | 534 | 313 | 11.03 | -1.18 | 4.46 | 14.31 | 35.9 | 次 |
4位 | 近藤和彦 | 中堅 | 1958-1972 | 15年 | 1737 | 6874 | 0.286 | 109 | 479 | 158 | 21.48 | -0.17 | -8.43 | 12.88 | 35.8 | |
5位 | 石井琢朗 | 遊撃 | 1989-2008 | 20年 | 2129 | 9394 | 0.283 | 99 | 626 | 355 | -0.16 | -5.30 | 9.01 | 3.55 | 34.9 | ★ |
6位 | 松原誠 | 一塁 | 1962-1980 | 19年 | 2154 | 8230 | 0.277 | 330 | 1172 | 82 | 19.64 | -2.43 | -13.40 | 3.81 | 31.2 | |
7位 | J.シピン | 二塁 | 1972-1977 | 6年 | 728 | 3018 | 0.299 | 166 | 467 | 21 | 12.50 | -0.97 | 3.03 | 14.56 | 24.6 | |
8位 | 鈴木尚典 | 左翼 | 1991-2008 | 18年 | 1517 | 5324 | 0.303 | 146 | 700 | 62 | 12.31 | -3.35 | -2.14 | 6.82 | 24.6 | |
9位 | 村田修一 | 三塁 | 2003-2011 | 9年 | 1158 | 4639 | 0.266 | 251 | 732 | 8 | 12.30 | -2.90 | -2.37 | 7.02 | 22.5 | |
10位 | 山下大輔 | 遊撃 | 1974-1988 | 15年 | 1609 | 5991 | 0.262 | 129 | 455 | 95 | -6.66 | -1.49 | 10.44 | 2.29 | 22.3 |
□横浜DeNAベイスターズ簡易投手WAR10傑[-2014]
順位 | 選手名 | 実働期間 | 年数 | 試合 | 先発 | 投球回 | 防御率 | FIP | 勝利 | 敗戦 | RSW | 球場補正 | 守備補正 | 補RSW | WAR | |
1位 | 三浦大輔 | 1992-2014 | 23年 | 515 | 468 | 3163 1/3 | 3.54 | 3.63 | 166 | 175 | 10.24 | 8.58 | 3.51 | 22.33 | 64.5 | ★ |
2位 | 平松政次 | 1967-1984 | 18年 | 635 | 421 | 3360 2/3 | 3.31 | 3.40 | 201 | 196 | 9.52 | 4.00 | 3.64 | 17.16 | 62.0 | ★ |
3位 | 秋山登 | 1956-1967 | 12年 | 639 | 278 | 2993 | 2.60 | 2.68 | 193 | 171 | 6.59 | -0.79 | 9.98 | 15.79 | 55.7 | ★ |
4位 | 遠藤一彦 | 1978-1992 | 15年 | 460 | 276 | 2208 1/3 | 3.49 | 3.39 | 134 | 128 | 10.86 | 1.55 | 2.90 | 15.32 | 44.8 | 次 |
5位 | 斉藤明夫 | 1977-1993 | 17年 | 601 | 218 | 2173 1/3 | 3.52 | 3.44 | 128 | 125 | 8.98 | 2.57 | 2.75 | 14.31 | 43.3 | 次 |
6位 | 高橋重行 | 1962-1980 | 18年 | 581 | 299 | 2295 | 3.41 | 3.26 | 121 | 135 | -1.24 | 2.48 | 5.09 | 6.33 | 36.9 | |
7位 | 斎藤隆 | 1992-2005 | 14年 | 339 | 208 | 1514 2/3 | 3.80 | 3.62 | 87 | 80 | 2.53 | 3.68 | 1.31 | 7.51 | 27.7 | |
8位 | 稲川誠 | 1962-1968 | 7年 | 304 | 169 | 1343 2/3 | 2.78 | 3.11 | 83 | 70 | 2.97 | -0.07 | 5.22 | 8.12 | 26.0 | |
9位 | 川村丈夫 | 1997-2008 | 12年 | 368 | 145 | 1115 1/3 | 3.72 | 4.00 | 71 | 64 | 5.47 | 3.25 | -0.47 | 8.25 | 23.1 | |
10位 | 野村弘樹 | 1988-2002 | 15年 | 301 | 236 | 1534 | 4.01 | 4.01 | 101 | 88 | -3.53 | 3.04 | 0.09 | -0.40 | 20.1 |
巨 神 広 中 [De] ヤ ソ オ 日 ロ 西 楽 近 球団史上最高の4人を選ぶ
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