コメント
No title
更新を機に改めて見ますと、堂林が定着できなかったのはとても惜しまれます。歴史的な名手になる可能性があった選手だと思います。
松田は平均以上を保っているのは流石ですが、DELTAのデータでも守備範囲の衰えは見られますし、
指摘されているような急落がいつ起きてもおかしくないですね。
松田は平均以上を保っているのは流石ですが、DELTAのデータでも守備範囲の衰えは見られますし、
指摘されているような急落がいつ起きてもおかしくないですね。
Re: No title
カンザスさん、コメントありがとうございます!
堂林はデータスタジアム社のUZRでも、RngRでリーグトップになっていましたね。
あのままレギュラーに定着していたらどうなったか興味深く思います。
松田ももう来年で35歳ですから、過去の三塁手の推移から考えると
いつ成績を落としてもおかしくない年齢に差し掛かってきてますね。
一軍レギュラーの年齢やファームの状況を見ていると、
NPB全体の傾向として今後は三塁手の若返りが急速に進みそうなので、
その中で松田がどれだけやれるか、個人的には楽しみでもありますが。
堂林はデータスタジアム社のUZRでも、RngRでリーグトップになっていましたね。
あのままレギュラーに定着していたらどうなったか興味深く思います。
松田ももう来年で35歳ですから、過去の三塁手の推移から考えると
いつ成績を落としてもおかしくない年齢に差し掛かってきてますね。
一軍レギュラーの年齢やファームの状況を見ていると、
NPB全体の傾向として今後は三塁手の若返りが急速に進みそうなので、
その中で松田がどれだけやれるか、個人的には楽しみでもありますが。
No title
なぜ衣笠さんはこんなにもマイナスを作ってしまったのでしょうか
No title
高田繁選手はすごすぎますね。
アマですら内野未経験の外野手が二三遊コンバートされた唯一の例だと思うのですが。
猛練習したという記事がいくつか残っていますがもともと持っていたポテンシャルも高かったのでしょう。
そしてピート選手もすごすぎますね。
ほぼ棒立ちなのでは?
アマですら内野未経験の外野手が二三遊コンバートされた唯一の例だと思うのですが。
猛練習したという記事がいくつか残っていますがもともと持っていたポテンシャルも高かったのでしょう。
そしてピート選手もすごすぎますね。
ほぼ棒立ちなのでは?
Re: No title
。。さん、コメントありがとうございます!
返信が大変遅くなりまして申し訳ございません。
>なぜ衣笠さんはこんなにもマイナスを作ってしまったのでしょうか
連続試合出場によるコンディション悪化の影響が大きいのではないかと推測します。
最近でも鳥谷敬や金本知憲が連続試合出場の記録を作りましたが、
どちらも晩年に守備でびっくりするようなマイナスを出してしまっています。
3人の共通点としては、骨折している状況でも連続試合出場を優先するような起用法が取られたことが挙げられますね。
特に衣笠さんの時代は、コンディショニングの手法や重要性が現代ほど理解されていない状況でしたから、
この時代にこれだけの連続試合出場を積み重ねることは、現代では考えられないくらい大きな歪みをもたらしたのではないでしょうか。
しかも当時は三塁手が現代みたいな一塁手のリバーシブルポジションになる前の時代で、
どちらかと言うと二遊間に近い守備負荷の高いポジションでしたからね。
返信が大変遅くなりまして申し訳ございません。
>なぜ衣笠さんはこんなにもマイナスを作ってしまったのでしょうか
連続試合出場によるコンディション悪化の影響が大きいのではないかと推測します。
最近でも鳥谷敬や金本知憲が連続試合出場の記録を作りましたが、
どちらも晩年に守備でびっくりするようなマイナスを出してしまっています。
3人の共通点としては、骨折している状況でも連続試合出場を優先するような起用法が取られたことが挙げられますね。
特に衣笠さんの時代は、コンディショニングの手法や重要性が現代ほど理解されていない状況でしたから、
この時代にこれだけの連続試合出場を積み重ねることは、現代では考えられないくらい大きな歪みをもたらしたのではないでしょうか。
しかも当時は三塁手が現代みたいな一塁手のリバーシブルポジションになる前の時代で、
どちらかと言うと二遊間に近い守備負荷の高いポジションでしたからね。
Re: No title
ゆさん、コメントありがとうございます!
返信が大変遅くなりまして申し訳ございません。
外野手でレギュラーに定着したのち、二三遊のいずれかでGG賞を取った選手は、
歴史上で高田繁選手と田中幸雄選手の2人だけですね。(田中選手は元々遊撃手ですが)
髙田繁選手の事例は、出戻り(内→外→内)のケースを除けば、
外野から内野へのコンバートの史上唯一の成功例と言ってよいですね。
こういう奇策中の奇策を成功させてしまうところが、監督・長嶋茂雄の凄いところだと感じます。
(自身も三塁手の歴史的名手でしたから、外野手時代の高田の動きを見てピンとくるものがあったのかもしれません)
ピート選手の時代は三塁手が「二遊間に近いポジション」から「一塁手に近いポジション」に移行する過渡期だったため、
他チームの多くが二遊間型の守備範囲の広い選手を三塁手に入れたのに対して、
南海は一塁型のピートを入れたのでこれだけのマイナスになってしまったように感じます。
なぜ三塁手が「二遊間に近いポジション」から「一塁手に近いポジション」に移行したかというと、
三塁手に守備範囲の狭い選手を配置しても問題が起きないことに、一部のチームが気付き始めたからだと思っています。
実際、南海もピートがこれだけのマイナスを作っているにもかかわらずチーム全体の守備力はかなり良好でした。
多分最初にこれに気付いたのは西鉄で、これよりかなり前に一塁型の中西太を三塁に入れています。
ピートは中西太と並んで、現代では当たり前になっている「一塁型の三塁手」の先駆的な存在だったように思います。
返信が大変遅くなりまして申し訳ございません。
外野手でレギュラーに定着したのち、二三遊のいずれかでGG賞を取った選手は、
歴史上で高田繁選手と田中幸雄選手の2人だけですね。(田中選手は元々遊撃手ですが)
髙田繁選手の事例は、出戻り(内→外→内)のケースを除けば、
外野から内野へのコンバートの史上唯一の成功例と言ってよいですね。
こういう奇策中の奇策を成功させてしまうところが、監督・長嶋茂雄の凄いところだと感じます。
(自身も三塁手の歴史的名手でしたから、外野手時代の高田の動きを見てピンとくるものがあったのかもしれません)
ピート選手の時代は三塁手が「二遊間に近いポジション」から「一塁手に近いポジション」に移行する過渡期だったため、
他チームの多くが二遊間型の守備範囲の広い選手を三塁手に入れたのに対して、
南海は一塁型のピートを入れたのでこれだけのマイナスになってしまったように感じます。
なぜ三塁手が「二遊間に近いポジション」から「一塁手に近いポジション」に移行したかというと、
三塁手に守備範囲の狭い選手を配置しても問題が起きないことに、一部のチームが気付き始めたからだと思っています。
実際、南海もピートがこれだけのマイナスを作っているにもかかわらずチーム全体の守備力はかなり良好でした。
多分最初にこれに気付いたのは西鉄で、これよりかなり前に一塁型の中西太を三塁に入れています。
ピートは中西太と並んで、現代では当たり前になっている「一塁型の三塁手」の先駆的な存在だったように思います。
No title
返信ありがとうございます。
衣笠選手は一塁ではかなり上位の成績を残していますね。衣笠選手は晩年に一塁と三塁を兼任していますが
一塁に専念できない事情があったのでしょうか。
衣笠選手は一塁ではかなり上位の成績を残していますね。衣笠選手は晩年に一塁と三塁を兼任していますが
一塁に専念できない事情があったのでしょうか。
Re: No title
。。さん、コメントありがとうございます!
返信が遅れまして大変申し訳ございません。
推定になりますが、当時は水谷選手・長内選手・小早川選手が一塁手に固定されていましたが、
彼らとの比較では衣笠選手の方が上手いと古葉監督が判断したからでしょうね。
ただ、守備固めで衣笠選手が一塁に回る起用が多く、古葉監督も衣笠選手の三塁守備には信頼を置いていなかったようです。
3選手とも一塁手基準では打撃が少々物足りないので、
本来なら求められる打力の水準が一塁よりも低い外野で起用すべき選手だと思われますが、
当時の広島は外野ががちがちに埋まっていたので一塁に入れざるを得ず、それで衣笠選手が三塁に押し出された形かなあと思います。
あとは興行的な理由もあったかもしれませんね。
当時の三塁手は「スター選手が入るポジション」という空気が今よりも強かったので、(掛布さんと原さんの全盛期もこの時代ですね)
当代を代表する選手だった衣笠選手を動かすのは、スター性を毀損する可能性があり興行上難しかったのかもしれません。
(長嶋さんが守備面の衰えにもかかわらずコンバートされなかったのも同じ理由だと推定します)
返信が遅れまして大変申し訳ございません。
推定になりますが、当時は水谷選手・長内選手・小早川選手が一塁手に固定されていましたが、
彼らとの比較では衣笠選手の方が上手いと古葉監督が判断したからでしょうね。
ただ、守備固めで衣笠選手が一塁に回る起用が多く、古葉監督も衣笠選手の三塁守備には信頼を置いていなかったようです。
3選手とも一塁手基準では打撃が少々物足りないので、
本来なら求められる打力の水準が一塁よりも低い外野で起用すべき選手だと思われますが、
当時の広島は外野ががちがちに埋まっていたので一塁に入れざるを得ず、それで衣笠選手が三塁に押し出された形かなあと思います。
あとは興行的な理由もあったかもしれませんね。
当時の三塁手は「スター選手が入るポジション」という空気が今よりも強かったので、(掛布さんと原さんの全盛期もこの時代ですね)
当代を代表する選手だった衣笠選手を動かすのは、スター性を毀損する可能性があり興行上難しかったのかもしれません。
(長嶋さんが守備面の衰えにもかかわらずコンバートされなかったのも同じ理由だと推定します)
No title
初芝って守備下手の代名詞的な存在やけど…
わからんもんやな
わからんもんやな
No title
歴史的な遊撃守備の名手である小坂さんが入団してからイメージ通り大きめのマイナスを記録してるので、
恐らくそれまでは三遊間のどっちでもやれるゴロの処理を初芝さんがせっきょぬてきに捌いてたんじゃないですかね。
前任の堀さんも守備評価が高いですがどうやら守備範囲よりも堅実性を重視するタイプみたいですし。
恐らくそれまでは三遊間のどっちでもやれるゴロの処理を初芝さんがせっきょぬてきに捌いてたんじゃないですかね。
前任の堀さんも守備評価が高いですがどうやら守備範囲よりも堅実性を重視するタイプみたいですし。
Re: No title
コメントありがとうございます!
返信が遅くなりまして申し訳ございません。
ファンタジスタと呼ばれていた記憶もありますが、守備範囲は極めて広かったようですね。
1992年から1996年にかけては、パリーグの三塁手の中ではダントツのアウト数を稼いでいるため、
アウトを取ってチームの失点を減らすことに関しては極めて優秀な三塁手でした。
初芝は同時代の三塁手と比べても失策は決して多いほうじゃないのですが、
どのような経緯で下手扱いになったのかは個人的に興味深く感じている部分ではあります。
印象的なやらかしが多く、それが某番組で大々的に取り上げられてしまったのがやっぱり原因なんでしょうか。
しかし、同じ経緯で下手扱いされている宇野は「実は上手かった」と主張するひとがいますが、(落合さんの影響でしょうか)
初芝についてはそういう声が全く上がらないのは少し気の毒にも感じます。
返信が遅くなりまして申し訳ございません。
ファンタジスタと呼ばれていた記憶もありますが、守備範囲は極めて広かったようですね。
1992年から1996年にかけては、パリーグの三塁手の中ではダントツのアウト数を稼いでいるため、
アウトを取ってチームの失点を減らすことに関しては極めて優秀な三塁手でした。
初芝は同時代の三塁手と比べても失策は決して多いほうじゃないのですが、
どのような経緯で下手扱いになったのかは個人的に興味深く感じている部分ではあります。
印象的なやらかしが多く、それが某番組で大々的に取り上げられてしまったのがやっぱり原因なんでしょうか。
しかし、同じ経緯で下手扱いされている宇野は「実は上手かった」と主張するひとがいますが、(落合さんの影響でしょうか)
初芝についてはそういう声が全く上がらないのは少し気の毒にも感じます。
No title
馬場敏史さんの記録は
いくつでしょうか
いくつでしょうか