コメント
No title
本塁打王としてのイメージが先行していましたが、成績を改めて見直すと、キャリア前半はBABIP依存の高い選手だったのですね。
1981以前はBABIP依存、1982以後はISO依存と、打撃タイプの切り替えがはっきりしています。
選手としての絶頂期の1980年に大ケガをしたとのことですが、これさえなければ400本塁打の達成は現実味を帯びていたことでしょう。
ただ、選手としての最大の課題は守備得点のページに眠っていそうです。(これもまたイメージ通りかもしれません)
1981以前はBABIP依存、1982以後はISO依存と、打撃タイプの切り替えがはっきりしています。
選手としての絶頂期の1980年に大ケガをしたとのことですが、これさえなければ400本塁打の達成は現実味を帯びていたことでしょう。
ただ、選手としての最大の課題は守備得点のページに眠っていそうです。(これもまたイメージ通りかもしれません)
Re: No title
ゆさん、コメントありがとうございます。
解説者としてとても好きだったので、亡くなられてしまったのは大変残念です。
打撃成績を改めて見ると、1980年以降は別人のような打撃スタイルになっていますね。
当時のテーブルスコアを見ると、この辺りを境にゴロの多いスプレーヒッターからフライの多いプルヒッターに変貌したようです。
これが長打増加とBABIP低下を引き起こしたと思われますが、並行して三振も減っているのが興味深いですね。
解説者としてとても好きだったので、亡くなられてしまったのは大変残念です。
打撃成績を改めて見ると、1980年以降は別人のような打撃スタイルになっていますね。
当時のテーブルスコアを見ると、この辺りを境にゴロの多いスプレーヒッターからフライの多いプルヒッターに変貌したようです。
これが長打増加とBABIP低下を引き起こしたと思われますが、並行して三振も減っているのが興味深いですね。